終わりの見えない課題との戦い
看護学校に入学して最初に驚いたのは、課題の量でした。
・レポート課題(A4用紙5〜10枚)
・事前学習(実習前には膨大な量)
・看護過程の展開(患者さん一人につき20〜30ページ)
・技術練習のための自主学習
・定期テストの勉強
常に3〜5つの締め切りを抱えている状態で、一つ終わったと思ったら、また次の締め切りが迫っている…そんな毎日でした。
厳格すぎる締切りと母親としてのプレッシャー
看護学校の締め切りは本当に厳しくて、1分でも遅れたら受け取ってもらえません。
「子どもが熱を出して…」なんて理由は一切通用しません。
子どもが急に体調を崩した日の夜、39度の熱でぐったりしている我が子を看病しながら、翌日提出の課題を仕上げたこともありました。
その時の罪悪感と焦燥感は、今でも忘れられません。
「私、母親として最低なことをしているんじゃないか」
「子どもより課題を優先するなんて…」
そんな自分を責める気持ちと戦いながらの毎日でした。
実習期間 は心も体も限界だった
看護学生の生活の中でも、実習期間は特に過酷でした。
私の1日のスケジュール
・5:00 起床、身支度・朝食準備
・6:00 子どもを起こして朝食
・6:15 母と交代し、私は先に出発
・7:30 実習先の病院到着
・8:00〜17:00 病棟実習
・18:30 帰宅、急いで夕食準備
・19:00 夕食、お風呂、寝かしつけ
・21:00 翌日の実習準備、記録作成
・3:00〜4:00 就寝
睡眠時間は2〜3時間。
体力的にも精神的にもギリギリの状態でした。
子どもにきつく当たってしまった夜
実習が特にハードだった時期、家に帰ってからも記録に追われて、子どもとまともに話す時間も取れませんでした。
ある日、疲れ切って帰宅した私に、子どもが「今日保育園でこんなことがあったの!」と嬉しそうに話しかけてきました。
でも私は「今忙しいから後で聞くね」と素っ気なく答えてしまったんです。
子どもはしょんぼりした顔で「わかった…」と言って、一人で遊び始めました。
その夜、子どもの寝顔を見ながら、涙が止まりませんでした。
「子どものために看護師を目指しているのに、これじゃ本末転倒じゃないか」
「私、母親失格だ…」
子どもが教えてくれた大切なこと
そんな私を救ってくれたのは、他でもない子どもでした。
実習が特に厳しかったある日、いつものように疲れ切って帰宅した私に、子どもが小さな手で肩をトントンしながら言ってくれたんです。
「ママ、今日もお疲れさま。ゆっくり休んでね」
その時、ハッとしました。
まだ小さいのに、この子は私のことをちゃんと見てくれている。
私が誰のために、何のために頑張っているのかを、理解してくれているんだと。
子どもなりの気遣いと成長
それから子どもの行動をよく観察するようになって気づいたのですが、この子なりに私を支えようとしてくれていたんです。
【子どもがしてくれていたこと】
・実習で疲れて帰った日は、いつもより早く布団に入ってくれる
・「今日は課題があるの?」と聞いて、ある日は静かに遊んでくれる
・休みの日には「今日はいっぱい一緒にいられるね!」と嬉しそうに笑ってくれる
・私が泣いている時は、黙ってそばに寄り添ってくれる
子どもって、大人が思っている以上にしっかり状況を理解しているんですね。
そして、自分なりに家族のために何かしようとしてくれている。
その事実に気づいた時、私は自分がいかに子どもを過小評価していたかを反省しました。
寝る前の30分間 ~ 私たちの大切な時間~
毎日続けた「今日あったことの報告タイム」
どんなに忙しくても、どんなに疲れていても、寝る前の30分だけは必ず子どもの話を聞く時間を作りました。
電気を消して、お布団の中でその日あった良い事と嫌だったことを報告し合う時間。
たった30分だけれど、私たち親子にとっては一日の中で最も大切な時間でした。
母親として私にできたこと
振り返ると、看護学校時代の私は理想の母親とはかけ離れていました。
・手の込んだ料理は作れなかった
・休日も課題で忙しくて、お出かけはあまりできなかった
・子どもの話をちゃんと聞けない日もあった
・イライラして優しくできない時もあった
でも、寝る前のこの30分間だけは、私が母親として子どもにしてあげられる精一杯のことでした。
子どもも、この時間が大好きだったようで「ママとお話しする時間」と呼んでくれていました。
完璧じゃなくていい – 自分を許すことの大切さ
子育てをしていると、どうしても他の親御さんと自分を比べてしまいますよね。
保育園のお迎えで見かける他のお母さんたちは、いつもきちんとメイクをして、手作りのお弁当を持たせて、子どもとの時間もたっぷり取れているように見えました。
「あの人たちみたいに、私もちゃんとやらなきゃ」
「子どもに申し訳ないことをしている」
そんな風に自分を責めて、落ち込むことが本当に多かったです。
そんな時は、いつも基本に立ち返るようにしていました。
私が自分に問いかけていた2つの質問
1. 「子どもは今笑っているか?」
2. 「自分は笑えているか?」
この2つの答えが「Yes」なら、それでいいんじゃないかと思うようになったんです。
人にはそれぞれの背景があって、置かれている状況も違う。
今の自分にできる精一杯を知って、その範囲で出来る努力を繰り返していく。
自分のキャパを客観的に理解することができれば、他者との比較や焦りの気持ちは少し軽減されることに気付きました。
お金じゃなく「笑い」で満たした時間
正直なところ、看護学生時代の我が家にお金の余裕はありませんでした。
でも、子どもの「笑いのツボ」だけは誰よりもよく知っていました。
高いおもちゃやテーマパークでなくても、一緒に笑える時間があれば子どもは十分幸せなんだと気づきました。
母親の自己肯定感が子どもに与える影響
子どもの自己肯定感を育てることはとても大切だと言われますが、それは子どもだけの問題ではないんですよね。
母親である私自身が自分を大切にできなければ、子どもに「自分を大切にする」ことを教えられません。
「自分はダメな母親だ」と自分を責めてばかりいる母親の姿を見て育つより、「今日も一日よく頑張った」と自分を労われる母親の姿を見せる方が、きっと子どもにとってもプラスになるはずです。
子どもから学んだ本当の強さ
看護師として働き始めて半年が経ちますが、あの3年間で一番学んだのは看護技術ではなく、「子どもの強さ」だったかもしれません。
子どもは思っているよりもずっと強くて、大人が思っている以上に状況を理解している。そして、家族のために自分なりに頑張ろうとしてくれている。
その事実に気づけたことで、私の子育てに対する考え方は大きく変わりました。
今の私たち親子の関係
卒業した今、子どもとの時間をたっぷり取れるようになりました。
でも、看護学校時代の方が子どもとの時間は濃密だったような気がするんです。
限られた時間だったからこそ、お互いを大切に思う気持ちが強かったのかもしれません。
子どもも今では「ママが勉強を頑張っていた時のことを覚えてるよ。」と誇らしげに話してくれます。
他のご家庭とは違う環境での子育てだったかもしれませんが、特別な時間を子どもと過ごすことが出来たと今では思うことが出来ています。
最近noteも始めました。より具体的なエピソードはnoteに掲載予定です。👉https://note.com/single_mother_ns
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