投稿者: manna

  • 看護師を目指した私の挑戦と家族の支え

    約1年間、予備校に通いながら希望の学校を受験しました。


    1回目の挑戦は残念ながら不合格…。

    学科試験も面接も自分でも「こりゃ落ちたな」とわかるくらいボロボロで、緊張しいな自分らしさ全開でした。

    予備校の面接練習ではうまくできていたことも、本番では全く力を出せずに終わってしまったんです。

    看護学校は前期と後期で受験機会を設けていたため、受験チャンスはまだ残っていたのに、心はもう折れかけていました。

    「こんなに時間をかけたのに、子どもとの時間を犠牲にしたのに…。なんて不甲斐ないんだろう」

    そう思うと、自暴自棄になり、次の試験を受ける気力すらなくなってしまいました。

    応援してくれていた人たちに顔向けできない情けなさも、心に重くのしかかっていました。

    あー、もういっそのこと辞めたいな。

    あんなに頑張っていたはずなのにそんな考えもよぎりました。

    そんな時に、救ってくれたのは家族です。


    苦しんでいる私の背中を、娘が優しくさすりながら言ってくれました。


    「ママ、あきらめないで。ママの頑張ってるところ、ちゃんと知ってるよ」

    弱音を吐く私に姉からは。


    「あんたみたいに人に寄り添える子が看護師にならなくて、誰がなるのよ」

    その言葉に励まされ、「このまま終わりたくない」ともう一度立ち上がることができました。

    残りの時間は、まさに最後の力を振り絞るように猛勉強。

    そして、結果は見事合格。


    今まで目的も夢もなく、何となく流されるままに進路を決めてきた私にとって、初めて“がむしゃらに働き、学び、そして成果を得た経験になりました。

    ここまで継続できたのは、間違いなく子どもの存在があったから。

    子どもがいたからこそ強くなれたし、諦めずに走り続けることができました。

    これから学生生活が始まり、家族に迷惑をかけることもあるのに、心から喜んで祝福してくれた家族の姿にも胸がいっぱいになりました。

    体力的にも精神的にもハードな受験期間でしたが、家族や予備校で出会った仲間のおかげで、こうして看護師への第一歩を踏み出すことができました。

    最近noteも始めました。より具体的なエピソードはnoteに掲載予定です。👉https://note.com/single_mother_ns

  • 看護師を目指す私のシンプルな学校選び

    看護師を目指すと決めたとき、まず考えたのは「どの学校に行くか」でした。

    看護学校って本当にたくさんあるんですよね。

    オープンキャンパスに行ったり、合同説明会で比較したりするのが王道だと思います。

    でも、私にとっての答えはすごくシンプルでした。

    自宅から近いこと。

    それだけが決め手でした。

    なぜかというと、私には子どもがいたし、もともと面倒くさがりで続けることが苦手。

    だからこそ通学時間を減らすことに大きな意味があったんです。

    自宅から近い学校にしたメリットはこんな感じです。

    1. 通学に時間を取られない分、子どもと一緒に過ごせる

    2. 体力を温存できて、授業や実習に集中できる

    3. 行きたくないな…と思う日のハードルがぐっと下がる

    これが私にとっては一番大きかったです。

    結果的に「どの学校にしようか」と迷う時間を短縮できたのもよかったポイントでした。

    そして、もう一つ私が受験のために決断したのが「予備校に通うこと」

    看護学校専門の予備校に通うメリットは大きく3つありました。

    1. 強制的に勉強する時間が確保できる

    2. 必要な情報(過去問・傾向・添削指導など)がすぐに手に入る

    3. 同じ目標を持つ仲間と一緒に学べるのでモチベーションが続く

    特に「情報が手に入ること」と「一緒に頑張れる仲間がいること」は、私にとってすごく心強かったです。

    やっぱり一人で勉強するより、同じ境遇の人がいる環境は励みになりました。

    そんな理由から、私は看護学校専門の予備校に通うことを選びました。

    予備校にかかった費用は、およそ30数万円。

    子育てをしながらの私にとっては決して小さな額ではありませんでした。

    さらに小論文の添削や特別講義など、いろんなオプションも用意されていましたが……私はあえてすべて外しました。

    どんなに勧められても、必要最低限の教科だけに絞って申し込みました。

    「欲しいものは全部そろえたい」と思う気持ちはありましたが、現実的には無理をしてはいけない。

    自分に必要なものを見極め、限られたお金をどう使うか。

    まさに“将来への投資”としての選択でした。

    無駄なものは削って正解だったと思います。

    その分、必要な教科の勉強時間をしっかり増やすことができたからです。

    そうして、私の受験生活が静かにスタートしました。

    大金を払った分「やるしかない」という気持ちも、背中を押してくれたのだと思います。

    最近noteも始めました。より具体的なエピソードはnoteに掲載予定です。👉https://note.com/single_mother_ns

  • 密室で怒鳴られた新人看護助手。それでも私が辞めなかった理由。

    看護助手として働き始めたとき、本当にいろんな現実を知ることになりました。

    現場には気の強い看護師さんや、挨拶をしても返してくれない人もいて…。

    でも「どこに行っても嫌な人はいるもんだ」と思い、割り切って仕事をしていました。

    ただ同じ看護助手の中でも、陰湿ないじめのようなことがあり、「大人なのに…」とあきれてしまうことも。

    私の教育係になったのは、50代のベテラン看護助手さん。

    看護師さんたちにはとても穏やかに接しているのに、私に対しては人がいなくなると急に怒鳴り出すんです。

    ひどいときにはリネン庫や個室に閉じ込められて怒鳴られることもありました。

    今の時代だと完全アウトですよね…。

    でも私は、そういう場面でなぜか冷静になれるところがあって。

    「この人は感情をコントロールできない人なんだな」と思いながら、マスクの下でこっそり変顔して気持ちを落ち着けていました。

    「必死で怒鳴ってる相手の前で、私はこんな顔をしているんだな」って思うと、不思議と笑えてきて気持ちが軽くなったんです。笑

    くだらないかもしれませんが、これが私の“自分を守るマインドコントロール法”でした。誰にも迷惑をかけずにできるので、もしよかったら皆さんも試してみてください。笑

    冗談っぽく聞こえるかもしれませんが、自分の感情をコントロールする方法を持っていることって、生きていく上でとても大事だと思います。

    私はこうした小さな工夫の積み重ねで、なんとかメンタルを保っていました。

    実際、私の前についた新人は何人も辞めてしまっていて、役職の人から「何かされてない?大丈夫?」と声をかけてもらったこともありました。

    その頃にはもう“無の境地”。

    「看護学校に合格したら辞める」と決めていたので、短期間なら耐えられると思えたんです。

    それに、同じように傷つけられている人が他にもいるなら、私が悪いわけじゃないって思えました。

    一方で、近くで看護師さんたちの仕事を見ていると、その大変さを感じながらも「困っている人にすぐに手を差し伸べて、“ありがとう”って言ってもらえる、すごい仕事だな」と思うようになりました。

    看護師になりたいという気持ちは、ますます強くなっていったんです。

    そこからは本当に忙しい毎日でした。

    朝、子どもを保育園に送ってから病院で勤務。

    仕事を終えた後、夕方に保育園へ迎えに行き、実家に預けて予備校へ。

    帰宅後は急いでお風呂に入れて寝かしつけ。

    こんな生活を1年ほど続けました。

    大変ではありましたが、両親の支えがあったからこそ乗り越えられたと思います。

    不思議なことに、あれだけ陰湿だった教育係の先輩も、私が辞めずに頑張る姿を見て「この子は続けるかもしれない」と思ったのか、少しずつ態度が柔らかくなっていきました。

    でも私は「むやみに人を傷つける人は信用できない」と思っていたので、最後まで心を開くことはありませんでしたけどね。笑

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  • 医療未経験でも大丈夫?怖い看護部長との面接体験談。

    子どもが2歳のときに夫と別居し、その後、調停や裁判を経て離婚しました。

    詳しい経緯はまた別の記事で書きたいと思いますが、ここでは割愛させていただきます。

    離婚が成立したとき、もちろん「これから一人で子どもを育てていけるのかな…」という不安はありました。

    でも同時に、2年も続いた泥沼の離婚劇に終止符を打てた喜びと解放感から、「今なら何でもできる!」という謎の自信も生まれていました(笑)。

    シングルマザーとして、安定した収入と社会的な信用を得られる仕事を探した結果、「看護師」が私の目標にぴったりだと感じました。

    娘に対し離婚した罪悪感もあり、せめて母親が誇れる仕事をしている姿を見せたいという気持ちもあったんです。

    別居中に生活が厳しかった経験からも、「せめて人並みの暮らしを娘にさせたい」という思いはとても強くありました。

    ただ、医療の世界は全くの未経験。

    年齢や子どもがいる状況を考えると時間は無駄にできません。

    本当にやりたい仕事なのか、自分にできるのかを確認するために、まずは看護助手として働くことを決め、派遣会社に登録しました。

    すると、子どもの保育園の送り迎えに合わせて、近くの小規模な病院を紹介してもらえることに。

    ところが面接に向かう前、派遣会社の担当さんからこんな一言が…「mannaさんは医療未経験ですので正直に言いますね。今日面接する看護部長は、めちゃくちゃ怖い方です。心して挑んでください!」

    これまで一般企業で派遣社員として働いた経験はありましたが、面接前にそんな忠告をされるのは初めて。

    さすが医療業界、やっぱり厳しいのかな…とドキドキ。

    でも当時の私は「子どものためなら、パワハラでも何でも受け止めてやる!」という妙な覚悟に満ちていて(笑)

    逆にちょっとワクワクすらしていました。

    そして迎えた面接当日。

    実際に看護部長と対面すると、挨拶しても目も合わせてもらえず、いきなり厳しい空気…。

    さらに「経験を積みたい」と伝えると、「あなたの経験なんか経験にならない。大人の便を見たことある?子どもとは違うの。私たちはそこから体の状態を判断するの。あなたにできる?」とズバッと高圧的に言われてしまいました。

    正直「えっ、怖っ!」と心が折れそうになりましたが、それでも私は「看護師を目指す第一歩として、ぜひここで働かせていただきたいです」と必死に伝えました。

    面接後、派遣会社の担当さんからは「ね?言ったでしょう?」と苦笑され、私は「そうですね…」と答えつつも、心の中では「医療業界ってすごい世界だなぁ」と圧倒されていました。

    ですが結果は無事に合格!しかもその後に会った看護部長は驚くほど優しくて、「え?この間の厳しさは何だったの?」と拍子抜けするほど(笑)。

    おそらく、私の覚悟を試すための態度だったのかもしれませんね。でも人手不足の医療業界。もう少し優しくしてくれても……という思いもありました笑

    もしあのとき本気の覚悟がなければ、間違いなく心が折れていたと思います。

    何はともあれ、私は無事に医療業界への第一歩を踏み出すことが出来たのです。

    最近noteも始めました。より具体的なエピソードはnoteに掲載予定です。👉https://note.com/single_mother_ns